Musty room

July 29, 2008

It gives me a headache. I woke up this morning with a massive headache. This is not first time, I sometimes have a this symptom.  I thought I’d better take some medicine, so I took some medicine with water. Although I have to go to city hall to obtain a passport, I can’t do it now , so I slept again. What else could I have done?

When I was wake up again,  Clock points 1 o’clock in the afternoon.  I recognized it and let out sigh. I headed for bathroom to shake up consciousness.  My headache subsided in a measure at last. and I go back to my room.

There are a shithouse full of staff in my room. I know I have to smarten up my room, but quite frankly it is less enjoyable.

映画の話、というか映画に限らず、広義における物語の話になるんだけど。とりとめのない話ですので、興味のない方は読む必要は無いです(笑)

話は大分前の話になります。随分前に友人と何人かで映画を見に行ったんですよ。何の映画だったかな、ちょっとシリアスな感じの映画だったことまでは 覚えてるけど、詳しい内容までは覚えてなかったりするんですよね。で、映画を見終わった後、帰りに何か食べながら、ああでもない、こうでもないって、さっ き見た映画の内容について喧々諤々の議論を戦わせてたんですよね。僕もそれなりに軽く二、三言口をはさんで、それなりに楽しかったことまでは結構鮮明に記 憶に残ってて。そのあと、僕のそばにいた、ずっと聞き手に回っていた友人がふと、喧騒を見ながら、楽しそうな口ぶりでポツリと漏らしたんですよね。

「映画も面白かったけど、映画について話してるやつを見るのも面白いよな」

その発言についてはその当時、それほど気にも留めなかったわけですけど、なんだか最近この言葉が、妙に体に馴染む感覚があるんですよね。そう思い始めたの は、今やってるコードギアスとかの考察系サイトとか、巡回するようになった影響が強いのかなって思います。コードギアスは作品そのものも面白いんで、みんな、一体どんなこと書 いてるんだろう的な興味から観測を始めたんですよね。その後、それなりに数を読むうちに感じたことなんですが、単純に読んでいて、なるほどって唸らせる様な、はてなでいうなら「すばらしい洞察」とかタグをつけた くなるくらい秀逸な記事が多いなって。アニメを漠然と見てただけじゃ思いつかない、キャラの心理に対する深い洞察とか、物語の構造や狙いとか。そういったものを巧く書いてるのが多いなあと。文芸なら文芸批評家なんてのがいますが、専業のアニメ批評家なんていうのは今のとこ聞きませんよね。でもこういうアニメ考察とか見るたびに、日本のアニメとかのコンテンツそのものも素晴らしいけど、それに加えてこういったものを支える辺縁系の批評や考察、感想とかの類の、一種のネットに根を張る生態系。こういったものも多種多様かつ良、質、共に恵まれてるなあと、つくづく思います。また、そういうエコシステムの住人達を、外野としては少し羨ましくも感じたり。

人が物語を見る動機とかって色々あって、一概に決め付けるのは難しいけど、極論すれば物語の効用って大別して二つあると思うんです。一つは物語そのものが読者に何らかの作用-こ れを人は成長とか、そういう風に呼ぶかもしれない。そういった変化、ちょっとした小さな変化から、人生感を変えてしまうような大きなもの変容を迫るものま で、時として物語が人に与える作用というのは決定的なものがありますし、そういうのを求めて物語を読んでる人も当然ながら少なくはないと思います。後もう 一つ、あえて掲げるとするなら、話の種、コミュニケーションツールとしての物語。こうシンプルに定義してしまうと、その幅はとても広くなりますよね。モテ の為のファッションとして消費される物語というのもありえますし、この作品について語りたい。その思いに突き動かされた脊髄反射レベルでの一言での反応か ら、原稿用紙数枚分に当たる考察系エントリまで。

こういう人を語らせたがるコンテンツには熱が宿っている。僕は個人的にはそう思ってるんですけど、何でこういう熱気のこもった作品に惹かれるのか なって個人的に考えてみたら、それは、前に触れたような映画に限らず、そういうお話、いわゆる物語に魅せられて、あーでもない、こーでもない、そんな事を 言いながら一見怠惰とも思える贅沢な時間を使ってる人たちが集まる、カーニバル。その特有の熱気に当てられて、病みつきになってしまった祭り好き、僕はそういうカーニバル・ジャンキーなのかな、なんて事を、ふと思ったのでした。

日記の効用。

June 29, 2008

日記を書いておけばよかったかなって、ふと思ったんですよね。なんでかは知らないけど。いや、正確に言うと日記を書いておいた方が後々の楽しみもできたかなって。まだ23なのに、って言われるかもしれないけど、10代の記憶がだんだん曖昧になって来ているのを感じるんだよね。個人的にはもう二度と経験したくないけど、でもそれなりに希少な体験をしたと思ってるし。

多感な時期に親に隠れてエッチなコンテンツに親しみ、政治的に極端な連中とも関わり、世界が矛盾に満ちているけれども何となく辻褄の合っている憎めない世界だと知ることこそ重要なのだ。(via 有害サイト規制の前に議論すべきこと – 雑種路線でいこう)

10代ってこういう時期だし、そこで得られた経験って後から思い返せば思い返すほど一生物だって思えてくることが、最近多くなった。そういう日記に、もちろん文章としての質の高さとか、名文であるかとかそんな事を期待してるわけじゃないけど、やっぱりあの頃じゃないと書けないことって多いように思えるから。記憶力とかが高ければそんな事も楽勝なんだろうけど、生憎ながら僕はそこまで記憶力が高くないと来ているんだよね。10代の頃の僕がどんな文章を書くのか純粋に見てみたい。きっと小っ恥ずかしい事を大真面目に書くんだろうな。アメリカは汚い!とか、この世は偽善者ばかりだ!とかさ(笑)別に大人になったという自覚はそれほどないし、もっと年上の方からみたらそれほど大して変わらないのかもしれないけどさ、やっぱり自分の中では変わった自覚はあるし、その過程で、何かを落っことしちゃったような気がするんだよね。それが何かって聞かれたら、上手く言葉にして説明できる自信は無いんだけど、とにかく何かがぽっかり消えちゃったんだ。

別に小説書くとかそういうつもりはないけど、もし何かお話をつくるなら、そういうのがあったら便利だって思うし、というような何というか功利主義的で未も蓋も無い願望もあるんだけどさ。他に理由を挙げるなら、アルバムみたいなものかな?僕は写真嫌いだから、そういうものは持ってないし、これからも持つつもりは無いんだけど、でもそういう日記帳とか見て、懐かしむのも悪くないんじゃないかってさ。じゃあこれから書くかって話にそれるけど、書くかなあ?やっぱり面倒だものね(笑)

essaさん経由。

昔はネットが無くてもやっていけた? 嘘をつけ。マジョリティはそうだったかもしれないが、マイノリティはそうじゃない。自己の中心的な属性を否定 するような情報ばかりに曝されて人格形成で大きなハンディキャップを負い、無用な自己否定感を植え付けられ、あるいは自死に追い込まれてきたんだ。

そして、そのような子供に適切な手をさしのべられるほど知識のある大人は近くにはいなかった。なぜならば、マイノリティだからだ。それに対して活動している大人もそんなに地理的に近くにはいない。

インターネットの普及によりようやく、こうした子供に手をさしのべられるようになってきた。webフィルタリングは、このような子供を見殺しにしようとしている。

フィルタリングの技術的問題点を知らしめる活動

これは重要な視点だと思う。webは身近にコミュニケーションを取る人間のいないマイノリティに対してこそ威力を発揮する。しかしこういう視点を持つ人が政策担当者にいないっていうことなんだろうな。つまり

『過去』は古臭く、『現在』は常識的で、『未来』はグロテスク

こういう定式にあてはめているんじゃないかと思う。いささか過剰反応過ぎるように思える。年を経るにつれてwebってのはその存在を希薄化されて日常にとけ込んでいっているのに、今回の法案はその流れに逆行するようなものになってきている。ちなみに元の法案の趣旨はこんな感じ。

この法律は、インターネットにおいて青少年の健全な成長を阻害するおそれがある情報が流通し、青少年のインターネット利用の良好な環境を整備する必要性が 生じていることにかんがみ、インターネットを利用して青少年により青少年有害情報が閲覧されることを防止するための措置等を講じ、もって青少年健全な育成 に資することを目的とすること。via 日本のインターネット産業に大きな節目?–自民と民主が重要法案を準備

webが全くの善ではないことは認めるけど、そこから「有害」なるものをどうやって取り除くのか。言葉は悪いけどまるで地上の楽園を目指して崩壊への道を歩んだ共産主義みたいな考え方だよな。現実を見てない理想主義的な手法だと言わざるを得ない。原理的にそんなこと無理なんだから、そういった未成年に「不適切(何を持って不適切とするのかも甚だ疑問だけど)」なコンテンツがあることを認めた上で、浄化するのではなく、それに対してどのようなアプローチをすべきかを教育する方がよっぽど現実的だと思うんだけどねえ。

すくなくともこのまま法案として通るとかなり不味い。お隣のグレートウォールを嗤えないよね。やはりここはMIAUの出番だと思うのだけど、彼らはもうアクションを起こしてるのかな。一個人として行動するよりは組織としてアクションを起こした方が政策への影響力は増すと思うのだけど、どうなんだろうか。

やっぱりもう検討してたようだ。ファクトベースでのこの政策のありえなさっぷりを逐一論じてるのでこちらを見た方がより理解が深まる。携帯フィルタリングがようやく妥当な方向に向かっていたこのタイミングでぶちかますあたり凄いよな。