映画の話、というか映画に限らず、広義における物語の話になるんだけど。とりとめのない話ですので、興味のない方は読む必要は無いです(笑)

話は大分前の話になります。随分前に友人と何人かで映画を見に行ったんですよ。何の映画だったかな、ちょっとシリアスな感じの映画だったことまでは 覚えてるけど、詳しい内容までは覚えてなかったりするんですよね。で、映画を見終わった後、帰りに何か食べながら、ああでもない、こうでもないって、さっ き見た映画の内容について喧々諤々の議論を戦わせてたんですよね。僕もそれなりに軽く二、三言口をはさんで、それなりに楽しかったことまでは結構鮮明に記 憶に残ってて。そのあと、僕のそばにいた、ずっと聞き手に回っていた友人がふと、喧騒を見ながら、楽しそうな口ぶりでポツリと漏らしたんですよね。

「映画も面白かったけど、映画について話してるやつを見るのも面白いよな」

その発言についてはその当時、それほど気にも留めなかったわけですけど、なんだか最近この言葉が、妙に体に馴染む感覚があるんですよね。そう思い始めたの は、今やってるコードギアスとかの考察系サイトとか、巡回するようになった影響が強いのかなって思います。コードギアスは作品そのものも面白いんで、みんな、一体どんなこと書 いてるんだろう的な興味から観測を始めたんですよね。その後、それなりに数を読むうちに感じたことなんですが、単純に読んでいて、なるほどって唸らせる様な、はてなでいうなら「すばらしい洞察」とかタグをつけた くなるくらい秀逸な記事が多いなって。アニメを漠然と見てただけじゃ思いつかない、キャラの心理に対する深い洞察とか、物語の構造や狙いとか。そういったものを巧く書いてるのが多いなあと。文芸なら文芸批評家なんてのがいますが、専業のアニメ批評家なんていうのは今のとこ聞きませんよね。でもこういうアニメ考察とか見るたびに、日本のアニメとかのコンテンツそのものも素晴らしいけど、それに加えてこういったものを支える辺縁系の批評や考察、感想とかの類の、一種のネットに根を張る生態系。こういったものも多種多様かつ良、質、共に恵まれてるなあと、つくづく思います。また、そういうエコシステムの住人達を、外野としては少し羨ましくも感じたり。

人が物語を見る動機とかって色々あって、一概に決め付けるのは難しいけど、極論すれば物語の効用って大別して二つあると思うんです。一つは物語そのものが読者に何らかの作用-こ れを人は成長とか、そういう風に呼ぶかもしれない。そういった変化、ちょっとした小さな変化から、人生感を変えてしまうような大きなもの変容を迫るものま で、時として物語が人に与える作用というのは決定的なものがありますし、そういうのを求めて物語を読んでる人も当然ながら少なくはないと思います。後もう 一つ、あえて掲げるとするなら、話の種、コミュニケーションツールとしての物語。こうシンプルに定義してしまうと、その幅はとても広くなりますよね。モテ の為のファッションとして消費される物語というのもありえますし、この作品について語りたい。その思いに突き動かされた脊髄反射レベルでの一言での反応か ら、原稿用紙数枚分に当たる考察系エントリまで。

こういう人を語らせたがるコンテンツには熱が宿っている。僕は個人的にはそう思ってるんですけど、何でこういう熱気のこもった作品に惹かれるのか なって個人的に考えてみたら、それは、前に触れたような映画に限らず、そういうお話、いわゆる物語に魅せられて、あーでもない、こーでもない、そんな事を 言いながら一見怠惰とも思える贅沢な時間を使ってる人たちが集まる、カーニバル。その特有の熱気に当てられて、病みつきになってしまった祭り好き、僕はそういうカーニバル・ジャンキーなのかな、なんて事を、ふと思ったのでした。